12.「越中人のこころ」吉崎四郎さん

(前略)

富山市は県庁所在地として、政治、経済、報道などの機関が集まり、大学・高校の数も多く、文化の中心地としても発展してきた。市民はあらゆる流行に敏感で、前衛的な芸術にもかなり興味を示す反面、過去からの政治体制に対してもやや批判的で、新しいものを積極的に受け入れる姿勢を持っている。

これに対して、高岡市は加賀百万石の保護を受けて成長してきた商業の町で、富山市への対抗意識が強かったようだ。政治・行政の面ではほぼ大勢に順応する型が多く、官尊民卑の風潮が根強い。しかも御車山の曳山をはじめ古くからの美術工芸をしっかりと守り続けてきた歴史と伝統のある町だけに、新しいものにはやや消極的な姿勢が見られることさえある。

かつて、楕円形の焦点にも例えられてきたこの二大都市のあいだには、今ではもはやライバル意識はほとんど見られなくなった。とりわけ富山市民には、高岡市への対抗意識は感じられない。いまや、この二つの都市は、関東・関西の文化圏の違いを乗り越えて、それぞれ個性的な町づくりを進めている。

こうして、今日のわが県民の意識構造を調べてみると、従来の「呉東・呉西」というワンパターンではとても富山県を的確にとらえることができなくなってきた。なぜなら、富山市を中心とした地域には、越中人の伝統的な個性があまり見られなくなってきたからである。

少し大袈裟に言って、かりに常願寺川と下条川のあいだの地域を「呉中」と呼ぶならば、呉中地域の県民意識は、徐々にではあるが、呉東・呉西に先がけて変わりつつある。ちょうど、なかば植民地化した東京に、日本人の個性が窺われないように、呉中では越中人のこころが、よい点もわるい点もともどもに失われつつある。これは時代を先取りして明文化していく都会の宿命なのかもしれない。

現代社会が激動と混迷を深めるなかで、「呉中」を突破口にわが県民の意識がある方向へと動き出しているということは、わが郷土の未来にとって大きな危険性をはらんでいることを意味すると同時に、二十一世紀へ向かってはばたくわが富山県に計り知れない可能性があることも示唆していると思う。

さて、ここに掲げる5人の女性には意外な共通点があることをご存知であろうか。あちこちの講演会で明治女の気骨を示す随筆家大宅昌、児童文学を書くやさしい目で越中の名将佐々成政をとらえた遠藤和子、トンボめがねをかけてとんだ罪をおかしてしまった宮崎知子、一度制して死ぬどころか平気で再婚までしてまた別れた女王バチ榎本三恵子、そして今年は賞金ランキングのトップにおどり出そうな美人ゴルファー森口祐子。

何はともあれ、最近際立った行動で脚光を浴びたこれらの女性は、うら若き青春を富山市の同じ学校で過ごした同窓生である。この中から、一人か二人とりあげて県民性を説くことはできないし、同窓生であること以外に共通点を見いだすこともできない。

おおまかに言えることは、明治・大正・昭和と時代の移り変わりにしたがって、ずいぶん女性像が変わってきているということである。もちろん、戦後の学制改革で伝統や校風にかなり質的な転換があったことを十分に認めるとしても、これら越中女性の群像にはまったく隔世の感があると言わざるをえない。

—「越中人のこころ(昭和58年)」より転載ーー

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