5.能登半島地震の復興はまだまだこれから

富山市内にいると元日に起きた地震のことを忘れてしまうほど、普段どおりの生活ができています。経済を回すために自粛も控えてとなると、それこそ被災地のことは忘れてしまいがち。

そんななか、輪島市の知人からヘルプ依頼があって、被災後も復旧が手付かずの町野町という山間地に行ってきました。

まず、氷見を抜けて七尾から穴水までの「のと里山街道」が土砂崩れで道路がまるまる崩れてなくなっていて臨時の横道バイパスだらけ。山側に数メートルの抜け道をつけてギリギリ通る感じです。また、うねりによる段差も限りなく存在しているのでスピードを出すことができません。のと里山街道全線で全国から被災地に来た建設業の方々により急ピッチで復旧工事が進められていて、数100メートル毎に工事箇所があるのを考えると、膨大な数の工事関係者が従事しているようです。もちろん一方通行なので、帰りは富山湾沿いの海岸線から南下するルートになります。その先の穴水から先の能登空港から町野町までの道路は、能登里山街道と比べると被害は少ないようでしたが、段差が多数あり、土砂崩れが放置してあったりして、のと里山街道など幹線道路の復旧を優先しているのが分かります。

町野町の鈴屋川が流れる中心部に入ると、見渡す限り倒壊家屋が手付かずの状態です。聞くと、解体したくても解体業者さんが他の現場で忙しくて後回しになってるのではないかとのこと。

輪島市町野町は輪島市街や珠洲市街や能登町街から離れた山間部僻地に立地していますが、中心部の倒壊家屋がとても多くて地震被害が甚大な地域。人口が少なくて市街地から距離も遠いなど条件的に不利な面がありますが、いつまでも倒壊家屋が放置されていると次の復興ステップに移れないので心配です。

地元の小学校グラウンドに最近できた80戸ほどの応急仮設住宅に入った方々は多くは地元の高齢者のひと。避難所から出て入居した方々です。道路の復旧が遅れて大型トラックが入れないため近くの商店には生鮮食品がないなど、平時の安定した生活とは程遠い状況です。

知人は「生鮮食品がない。移動販売車で運んでほしい」との訴えだったので、仕事のつてでイオンリテールさんにお願いしたところ、4月から町野町にも寄っていただくことに。現地のもとやスーパーさんも「地域のためになることならなんでもやるのがいい」と喜んでいました。

町野町は能登の被災地のなかでも被害が大きい方ですが、復旧の順番は遅れているようです。道路さえ復旧できれば大型トラックで物流が回復し、生鮮食品も入手することが期待できます。

そんな苦しい中でも、昔からこの地に住むもとやスーパーさんはとても前向きな意見をお持ちでした。曰く、「育ててもらった町に恩返しを。頑張ることで町に元気を取り戻したい」「地震で困ったことが多いが、1番大切なこと、家族の絆の大切さを分からせてくれたのも地震だ。都会の子らが年に一回だけだった里帰りを毎週やってくれるようになった」

能登半島の復興はまだまだこれからです。