1.武脇仁さん(芝園地区)「売薬さん」

我が家が代々営んできた売薬業の物語をお話します。

現在の射水市下村にある倉垣荘(京都下鴨神社の荘園)で農業をしていた僕のご先祖が、本家から分家して(今も下村に総本家があります)江戸の天保期(1840年頃)に富山城が見える舟橋の橋北にある愛宕村に移り住んで売薬業をはじめました。

関連する文献を見ると、売薬業は長い目で見ると浮き沈みが激しい業界だったようです。衛生状態が悪かった江戸~明治期は漢方薬が飛ぶように売れたようですが、そのせいで特別に印紙税をかけられたこともあったようです。

大正期は一番波に乗っていた時期のようです。わが家の生産工場も隆盛を極め、商工会議所の役員にも名を連ねていたようです。

昭和に入ると戦争になって富山大空襲で富山市民は大打撃を受けました。我が家の工場も焼けてしまったため、それ以降は販売業いっぽんで生計を立ててきました。

江戸・明治・大正・昭和と売薬業を数世代にわたって受け継いできた我が家でしたが、平成に入って近年、小売店や医薬品が普及してきたことに伴い、父の代で長い歴史に幕をおろしました。

売薬さんが少なくなってしまった現代ですが、浜田恒之助14代富山県知事の「経世小策」にある売薬魂は、今の時代でも世界に通用する素晴らしい考え方だと思います。

○故山温郷に妻子を残し、大海を渡り販路を世界に求める進取活動の精神

○行旅半歳、この間勤倹にして欠乏に堪え、僅に一肩の荷に生涯をかける精神

○先用後利の売薬商法は、一旦天災地変に遭遇すれば大損失になる場合も少なくないが、それでも取引先を変えることのない堅忍持久の精神

○各県、各国を遍歴することで世界の情勢を観察し、広い知識を習得する精神

当時の生活はとてもつらく厳しい生活だったことが窺える内容ですが、僕の記憶にある祖父母や父母の暮らしぶりを振り返ると、「我慢」「忍耐」という言葉ばかりが浮かんできて、まさに上記の精神が受け継がれていたのだと実感しています。

母は、人生の後半、民生委員として地域の人の心に寄り添って生きていましたが、苦労を重ねただけに、人の気持ちに寄り添うことの大切さを分かっていたのだと思います。

これからのTOYAMAを考えるとき、父が残した売薬魂と母の民生活動を次の世代に引き継いでいくのが、僕の人生をかけて取り組むミッションかもしれません。

「ちゃべちゃべ」でとやま心を話しましょう