13.「越中人のこころ」吉崎四郎さんNo2

越中人はよくザイゴという言葉を使う。正しくはザイゴウで、ちなみにザイゴウを手もとの字引でくってみると①田舎のこと②田舎にいることと記してある。

ふだんは郷里にいて、いざ鎌倉というとき召されて国防に当たった人達を在郷軍人と呼んだことがある。この場合は文字どおり郷里にいる軍人のことだが、在郷は単に田舎の意味にもなる。ことにザイゴと短く切っていうと、私たちにはなぜか田舎の実感がわいてくる。

たとえば「おらっちゃみたいザイゴのもん」という言い方をするとき、それはただ「私たちのような田舎の者」というだけの意味ではなくて、どこか自分を卑下した鉛のような鈍いひびきを伝える。

確かに、在郷町とは城下町に対する概念で、明らかに加賀百万石、あるいは京の都や江戸八百八町へのコンプレックスをはらんでいる。前田家の直接の支配下にあった百姓たちよりも四分六分で余計に年貢米を納めなければならなかった富山人たちが、都や城下町をあこがれたのもむりはない。

このような鉛色の劣等意識は、期せずして越中特有の方言に表れてくる。私たちが重い荷物を持っていて、だれかの車に乗せてもらいたいとき「車に乗せてちゃもらえんまい」と言うし、消しゴムを借りたいときでも「ねぇ、消しゴムちゃなかろオ」といった頼み方をする。素直に「車に乗せてください」とか「消しゴムを貸してくださいな」とはなかなか言えない。自分が車に乗りこめる余裕のあることがわかっていても、相手が消しゴムを持っていることを知っていても、ついこんな半ばあきらめたような言い方になる。語義どおり正確に解すれば「車に乗せてはもらえないですね」「消しゴムはないでしょうね」ということばだから、これは質問であって依頼の言葉にはなっていない。初めから自分はダメだという姿勢だから、こんな人生の暗い影を背負っているような表現になってしまうのではないだろうか。

その証拠に、わが県民で「この土地の言葉が好き」(33位)と答えた者の数少なく、「標準語が話せなかったり地方なまりが出るのが恥ずかしい」(6位)者がかなり多い。言葉遣いひとつ取ってみても、どうも郷土に自信と誇りのないことがわかる。

元禄13年(1700年)当時の民俗学者関祖衡が編集したといわれる「人国記」は、日本各地の風土風俗についてその特徴を簡潔に記したもの。概してどの地方も厳しく批判的に書かれているが、「越中」のところはこうだ。

「当国の風俗は陰気のうちに智あり、勇あり、侫(ねい)なる気多し」

この「侫」という語を漢和辞典で調べてみると、「侫」は「佞」の俗字で意味が五つ。①口がうまい②よこしまな③才能のある④ねじける⑤おもねる、と記してある。つまり越中の国の風俗は、陰気くさいがそのなかに知恵と勇気がある。そして、越中人は口がうまくて、よこしまで、頭がよくて、心がねじけていて、人様におもねるところがある、というわけ。

それに続けて「親子の間にても一言に言葉じちをとり巧みに侫をなすなり、人の交わりも底意は侫にしてただ率忽の交はりのようにする意地なり、しかれども事にのぞみて死を厭はざる風もありとぞ、按ずるに当国は山深くてまた海を抱けり、寒さ烈しく雪ふかし」と書かれている。

どうやら、私たちの祖先は人と付き合うときは腹黒いらしいが、これは山と海に囲まれた厳しい暮らしのせいだと、人国記の編者は判断しているようだ。もうすでに280年もたったいまの富山県民と比べて、まんざら当たっていないわけでもないと思う人が多いのではないだろうか。

わが先輩たちは、いつも厳しい自然環境の中で、しかも世の中の底辺にいて、じっと耐え抜いてきた。魚でいえばカレイみたいなもの。カレイは裏表のある魚で、いつも海の底の砂地に腹ばいになり、目が二つとも表に出て、海中を遊泳するブリやマグロをうらやましそうに見つめている。京や江戸や隣の加賀をこのひがんだ目で見てきたのである。

なるほど、越中は山深く海を抱き、寒さ激しく雪深く、江戸時代ではまさに陸の孤島であった。「日本海のロマン」(藤本徳明著)によれば、越路とは、古代においては王城の地から化外(けがい)の地へ越して行く境界としての路であった。しかし、カレイのような目で王城をみつめる「侫」なる意識も、徐々にではあるが少しずつ越中人のこころから消え去ろうとしている。

ー「越中人のこころ」(昭和58年)より転載ー

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