11.富山県民生涯学習カレッジ初代学長 吉崎四郎さん

1.教育ビッグバンの到来
 自分が生涯教育室にいた頃、富山県が先進地ということで随分全国各地を回った。国も当時税収も多く、その遣う道に困り、「ふるさと創生事業」を行った。各地で使い方を相談しようと大学教授などを招聘した。ところが日本の国立大学の教官は、知能といわれる記憶力や取捨選択などの判断力はあるが、決して創造力は豊富ではなく、いい助言ができなかった。
 これは、米国との比較をするとわかる。私も米国生活がしばらくあり、向こうの子どもたちは授業すると必ず「Why? How?」から始まる。日本は昔からそんなことをすると、先生は「うるさい、黙って聞け。」という感じで、日本の教育は「Where,When,Who,What」が中心であった。記憶中心主義で優劣をつける。今、ゆとり教育が叫ばれ、また見直しもされているが、このゆとり教育でいい点が一つだけある。それは子どもたちが、「どうして?」という質問をすることになったからだ。(例:四国は4県だが、九州は7県でなぜ9がつくか?、中国地方はなぜ日本の真ん中でないのにそう呼ぶか?)
 東京千駄ヶ谷の創造開発研究所の高橋先生が言われた。日本人のノーベル経済学賞が出ないのは、学校と職場の違いがあるからで、例えば未来予測ができない(しない?)ため。例えば米国の学者は株をするが、日本人の学者はしないと、指摘を受けても、京カルタの「一寸先は闇」の考えである。つまり、未来予測をし、その発言に責任を持つということがないのである。政治家も同じで、最近辞任したある党の党首も今まで散々「北朝鮮はいい国だ」といってきたくせに、いろいろわかっても全然侘びを入れない、いい例である。
 米国は自己責任ということでもはっきりしている。ニューヨークから五大湖に行き、ナイアガラの滝にはHedge(垣根)がないところが多い。「危なくないか、落ちたらどうする」というと、「落ちたら死ぬだけだ」自分で気をつけろ、そんなことは自己責任だということで、どこかの国とは隔世の感がある。関連して、彼らは死んでしまったら、HeでもなくSheでもなくItと呼ぶ。つまり、死んでしまったら、魂は天に召されて肉体は何の役にも立たない。日本人は肉体が死んでもまだ魂が宿ってすぐには抜けないと考える。特に侍は下腹に魂が取り付いていると考え、その身の潔白を示す切腹の儀は日本人独特の考え方を如実に示す例である。
 心臓移植の例を挙げても、日本人は心臓が止まらないと死とは考えない(つまり心臓イコール心が失われる)。アメリカ人は合理的に考え、脳死が死と考える。脳生理学的に、命とは脳幹にあると考え、脳幹がすべて指令を出して体が動いており、もし脳幹が死、万が一心臓や肺が動いていても、早い時期に移植可能なら、「汝の隣人を愛せよ」の教え通り、臓器移植を容認するのである。

2.新世紀が求める人材
 これから求められる人材は、知能の高い人(記憶力や判断力のある人)より、創造力や協調性あるいは責任感のある人である。創造力の高い人とは、米国カルフォルニア大学ノーベル賞学者のスペリーの説では、右脳人間といわれる。計算や言葉の左脳人間は学歴は高いかもしれない。五感だけでなく第六感といわれる感覚の優れた人間は、芸術など創造力の豊な人間が多い。富山の言葉に「みゃらくもん」という言葉があるが、これは「①売薬・行商などよく見て歩く意味、②身が楽(わが身が楽:道楽もん)という意味、③無利益(利益がなくともはたらく)という意味」が混ざった意味であるが、まさに右脳人間をさしていると見る。
 知人のユダヤ人の学者が言うには、ユダヤ人と日本人は創造力と協調性を併せ持つ人種だが、欧米人は創造力があると協調性がないとか、協調性がいいのは創造力がなくへいこらしているだけとか、どちらかに偏った人種である。そこでアメリカ人はオズボーンのG・B・S(グループで考えるやり方)を工夫したり、ダブルデーのBaseball(野球)で協調性を高める努力をした。協調性とは、農耕民族が持つ郷土愛みたいなもので、アメリカ人は野球から郷土を大切にする考えを身につけた。永遠のベストセラー「風と共に去りぬ」は夫や娘を失って失意の主人公が故郷愛を思い出して、「そうだ、タラへ行こう」というのがこれを物語っている(失っているものを求める渇望)。Baseballとは、つまりHomebaseに戻ってこよう(故郷に帰ろう)という意味であるが、その意味で日本語訳の野球は適訳である。中国語の訳の棒球は味気ない。最近はアメリカでも、Baseballといわないで、ただのBall Gameというのは寂しい。

3.世界一の(ツー・ジェーズ)
 アメリカでも、ユダヤ人と日本人は優秀な人種と評価される。共通点は寿命が長い、所得が高い、頭がいいなどである。しかし、ほんとは全体で見ると、日本人は30点から90点がほとんどで、ユダヤ人には少しだが100点がいる。例えばアイン・シュタインなどである。ところが、日本人は尊敬されるかというとそれほどでもない。金があっても、貧しい人に使うとか、困っている人を助けるとかを積極的にしない。ましてや戦争があっても難民などへ手助けしないからだ。ユダヤ人の浸透力はすごい。ホワイトハウスにはかなりのウエートを占め、大統領側近を占めるネオコン(新保守派)がそうである。イスラムとは問題が多いが、建国の際のパレスチナとの関係が今尚ギクシャクしている。米英のイスラエル支援を心良しとしないイスラム諸国が爆弾テロを起こすには理由がある。ユダヤ教やキリスト教よりも800年も新しいイスラム教が進んだ宗教であるとの自負もあるからである。
 能登真脇遺跡には、縄文の跡がいろいろ見られるが、ここはまさに山・海でのいろいろな生活の工夫がある。そこには創造力を高めた生活があった。また、東京文京区弥生町で見つかった穀物を保存する弥生土器は、四季折々の豊な風土に育まれた土を共に耕す協調性ある農耕民族の象徴である。日本人には見事に変わった二つの遺伝子をこの縄文時代と弥生時代から受け継いでいる。江戸時代に佐久間象山は「和魂洋才」といったが、梅原猛氏は「縄文の才と弥生の和」といわれた。
 この北陸の地には、日本を代表する傑物が出ている。大谷米治郎や北前船の馬場氏、東大安田講堂の安田氏、黒田氏など、財を成しては寄付を惜しまない人がいた。お隣の石川県宇ノ気町に「西田記念館」があり、西田幾多郎を知ることができるので一度訪れてください。京大の先輩だが、「絶対矛盾の自己統一」や「矛盾的自己統一」などの西田哲学を作った。「一人一人の矛盾した個人を、統一された時1足す1が3になったりする」ということを野球を例に挙げて説明された。創造力と協調性という二つのものをうまくかみ合わせた哲学とも言える。知人のユダヤ人の教授が最近英語になった日本語が2つあると教えてくれた。一つは、gaman であり、これは阪神大震災の際、震災地からじっと我慢して動かない日本人が多いのに驚いた外国人記者が使ったそうで、もう一つはwa で、日本人特有の聖徳太子の「和をもって、尊しとなす」を言い表すもので、訳として「①peace ②total ③harmony」とある。柳田邦男は日本人は和の中に育った民族であるとしている。
 この富山県は、産学官が連携をとる素晴らしい県である。北陸三県とも県庁所在地へ、1時間程度で集まって一堂に会して会合を開ける。市町村会などでも首長がそれぞれ集まり意見を出し、終わってからも熱心に何人かで議論をする。町村合併などもうまくいくと考える。お隣の長野県を例に挙げると、唯一の古い地名を大学につけている(信州大学)が、北から南まで四つの学部所在地を持ち、タコ足大学と批判があるのに、決して頑固に統合しようとしない。市町村合併を県知事自らがさせようとしない変な県である。
 富山県は、これからが明るい。創造力のある、協調性のある、責任感の強い、こういう人を是非使ってください。

ーー富山第3分区・第4分区合同都市連合会特別講演、山本武夫氏サイトより転載ーー

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