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50.乗り越えてゆく富山人

コロナ禍で暇を持て余すついでに自分の過去と未来について考えていました。ノートに思いつくままに書き留めていると、どうも富山の過去と未来にも鳥瞰的に思いを馳せないと自分のことも分からないのではないかと思えてきて、戯言ばかりになりますが、自分なり...

49.富山のセールスマンシップ(遠藤和子さん)

(前略)さぐり出した売薬の歴史には、商いの神髄が縦横に織りなされていた。一般に売薬といえば、百年一日のごとき商法というイメージが強いが、「経済の本質の洞察を踏まえた商法」で、今日にも通用する先進的な永代商法であった。このユニークな配置薬商法...

48.売薬行商人の思想(風俗 越中売薬)

(前略)まず、その社会的な性格であるが、売薬の階層としての位置づけは、業態・身分・顧客等の点で典型的な中間者的存在であることが認められる。本当は売薬に行商と続けるのはおかしい。なぜなら行商ということであれば、他の種々行商にみられるように商品...

47.恋は大袈裟(谷川俊太郎さん)

初め私は母親のからだの中にいた。私のからだと母親のからだは溶け合っていた。その快さはおそらく今も消え去ることのない意識下の記憶として、私のうちに残っている。私は母親のからだから出て、私自身のからだをもったが、そのからだはともすると、母親のか...

46.倶利伽羅合戦の明暗

平家物語に牛が出なく、源平盛衰記にだけ牛の出てくるのはなぜか。その結論を出す前に、両書の成立を考えておきたい。まず平家物語の書名は原作者がつけたものではないというのが定説。徒然草によると鎌倉前期の後鳥羽天皇の時代に信濃前司行長が作ったといわ...

45.越中売薬は誰がはじめたか(能坂利雄さん)

「越中売薬」といえば前田正甫(富山二代藩主)をはじめ、万代浄閑、松井屋源右衛門、八重崎屋源六などの名が反射的に浮かぶ。(中略) そりよりここで整理して考えておきたいのは、薬草採集と販売元と配置売薬の制度を区別して考えなくてはならない。反魂丹...

44.流刑人哀歌(富山の伝説)

越中五箇山は、美濃国烏帽子山を源とする庄川に沿って、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷と5つの谷間に点在した集落である。 この5つの谷間を縫って流れる庄川の右岸には、流刑地があって口留番所が設けられていた。加賀藩が五箇山を流刑地に決めたの...

43.翁久允さん(富山ペンクラブ)

1961年の4月8日、三尊道舎で「筆塚」の除幕式をあげた。これは、私が「八庭園」というものを築造して道舎のぐるりに33の石を配し、それらの名を仏様や神仙、高僧、教理などの表徴としたのである。「見る庭」を作ると金がかかるので「聞く庭」を作ろう...

42.蛇喰の雪山(雪のなかの生活学)

富山県の井口村蛇喰(じゃばみ)は、高清水山系山麓の村である。この村は南北に走る山系の西側に位置し、雪山はこの山麓の谷間を利用して設けられていた。 雪山とは、雪を蓄えておく大きな室の一種であるが、基盤整備が進むにつれ、雪山の基底部は取り壊され...

41.俣本浩司さん(環境活動家)

富山の海岸を数十年もコツコツと清掃し続けている人。他の人にはとても真似できない熱意あふれる活動で、富山の海岸を愛し続けてくれています。 海岸清掃ボランティアの草分け的存在ですが、すでに84歳。この後の富山湾岸を誰がキレイにしてくれるのか心配...

40.福江充さん(幕藩体制下における加賀藩と立山衆徒)

立山衆徒は中世から近世初頭にかけ、軍事的要素も備えた宗教者集団として、越中守護職の桃井直常や越中守護代の神保長誠、あるいは越中国主の佐々成政などの武将たちと結びついていた。佐々成政の「ザラ越え」にも関与している。 その後、佐々成政が没落し、...

39.梅本清一さん(地方紙は地域をつくる)

本書の「はじめに」で記したが、北日本新聞が若い記者や新聞記者を目指した学生たちに影響を与えたのが1969年、連載「よみがえれ地方自治」だった。私だけでなく、全国で出版になった「よみがえれ地方自治」を読み、地方紙を志したという友人もいる。「地...

38.広瀬誠さん(立山と白山)

(前略)このように、立山にも白山にも、同名の大汝山がある。大汝とは古代日本の神の名で正式には大己貴と書く。だから「白山荘厳講中録」という古い記録には、ちゃんと大己貴と書かれている。 大己貴神といってもピンとこないかもしれないが、別名を大国主...

37.富山和子さん(日本海文化論-水がつなぐ環境を見つめて)

(前略)およそ日本文化を語る場合、どうしても踏まえていただきたい日本独特の国土条件がある。地形急峻、火山国で岩石が脆く、雨が梅雨と台風時に集中するという特性だ。欧米や大陸の諸文化とは異なるこの条件下、日本人がいかなる技術思想で大地とつきあっ...

36.枝廣淳子さん(ホタルイカ、GDPと本当の幸せ、そして持続可能な漁業)

数年前に富山県滑川のホタルイカ漁の見学に連れていってもらったことがあります。ホタルイカ漁の観光船が港を出るのは午前3時前。100人ほどが2隻の観光船に分かれて乗り込みます。15分ほどで煌々と夜の海を照らし出して作業する漁船の近くまで来ました...

35.小谷瑛輔さん(文学作品を通してみる富山)

近代以前から全国的に知られていた富山のイメージといえば、なんと言っても越中富山の薬売りだろう。文学史に残る有名な作品にも富山の薬売りは描かれている。隣県石川の金沢市出身の作家、泉鏡花の代表作「高野聖」である。 この物語は、男を誘惑して肉体関...

34.石垣悟さん(富山って西?東?)

民俗学者の柳田國男は、昭和12 年に「越中と民族」という小文を発表した。そこにはこんなふうな記載がある。「富山懸は民族研究上に面白い特徴を持った地帯であって、私なども以前から深い関心を抱いている」。例えば、カタツムリの方言だけでも富山には四...

33.萩原大輔さん(佐々成政の悪評を広めたのは前田家か?)

成政ゆかりの旧跡「磯部の一本榎」が富山護国神社の裏手、旧神通川の松川沿いに現在も残る。彼には早百合という寵愛する妾がいた。これを妬む者が、早百合が成政の家臣と不義密通を働いたと讒言したところ、激怒した成政は事の真偽を確かめることなく、早百合...

32.湯屋は島倉の湯(とやま元祖しらべ)

島の倉の初まりはは明治元年(1868)であります。現今の位置(中長柄町)は昔、沼の高とて一面の沼でございました。当時の藩主前田利保公が鷹狩にお出掛になり、御鷹野(現今の西田地方村)に立ち寄りて漸次お運びになる途中、水を飲みたいと仰せられたが...

31.高沢滋人さん(いつものボックスでー総曲輪通り)

「出会いの街角」をキャッチフレーズに、昭和51年夏にオープンした東京スタイルの富山西部は、県内随一の商店街、総曲輪通りの東入口にあります。総曲輪通りは、市電の線路をはさんで続く中央通りを合わせて260の専門店が、それぞれのアーケードでつなが...