31.高沢滋人さん(いつものボックスでー総曲輪通り)

「出会いの街角」をキャッチフレーズに、昭和51年夏にオープンした東京スタイルの富山西部は、県内随一の商店街、総曲輪通りの東入口にあります。総曲輪通りは、市電の線路をはさんで続く中央通りを合わせて260の専門店が、それぞれのアーケードでつながっている繁華街です。

角のシースルーのエレベーターで上昇すると、人も車もしだいに小さくなってゆき、アーケードのガラス張りの屋根と商家の瓦屋根が波のように両側に広がります。そして38mの9階屋上に達すると、大小のビル越しに立山連峰の勇姿がワイドスクリーンのように広がり、爽快な気分が満喫できるのです。

さて、総曲輪とは、城の外濠の外側という意味で、埋立地に建てられた本願寺両別院の門別市から始まった商店街です。戦前から「鈴蘭燈のそーぶら」と市民に親しまれてきました。戦災からいち早く立ち直り、昭和28年暮れには日本海側初のアーケードを完成させました。そして平成7年は「あいらぶ・そうがわ」100周年を迎えます。

もともと通りというものは、歩きながらショーウィンドウをのぞき、人と出会って立ち話をし、女性は気どり若者はカッコつける、さまざまなパフォーマンスの賑わいがあるところです。そして横丁の飲食店は、人の心を解放し安息の場を提供してくれるのです。

ところで、総曲輪通りの東寄りの横丁レンガ通り(昔は神田横丁と呼んでいた)に、昭和10年創業の喫茶店チェリオがあります。コーヒー党が少なかった時代からの老舗です。もちろん、空襲で焼失しましたが、戦後すぐ再開されました。本もレコードも貴重品、砂糖も不足していたころ、名曲喫茶チェリオへ音楽愛好家が足を運び、憩いのひとときを過ごしました。朝には常連が集まって石炭ストーブを囲み、夕方にはサラリーマンが寄り道をし、一杯のコーヒーに疲れをいやします。そのころ、この界隈には映画館が8館あって、アメリカ映画は文化の泉といわれていました。映画を楽しんだ後、足は自然とチェリオへ向かいます。スクリーンの余韻を楽しむコーヒーのおいしかったこと。

終戦直後に誕生したコーラスグループ業声楽苑を主宰する富山大学の故小沢慎一郎先生もチェリオの常連でした。あのエネルギッシュな先生はじつは甘党で、私も同類項とて、会うときはいつも「あんみつ」。大の男が1人であんみつを注文するにはちょっと勇気が必要ですが、2人なら人目なんか気にしません。小豆と寒天と果物と蜜は元気の源です。とにかく、チェリオのあんみつは天下一品の味なのです。

世の中はすべてが移り変わります。しかし、自分の心の片隅に、なにか変わらない美しいものを残しておきたいと願っています。人間性の回復と文化運動に情熱を燃やしたあの日あの時。チェリオの昔ながらのクラシックな雰囲気と味が私の心を落ち着かせます。いつものボックスでちょっと追想にふける、ひとりぼっちのプライベートタイムこそ人生のオアシスなのです。

(とっておきの富山、高沢さんは富山演劇協会代表)

「ちゃべちゃべ」でとやま心を話しましょう