37.富山和子さん(日本海文化論-水がつなぐ環境を見つめて)

(前略)およそ日本文化を語る場合、どうしても踏まえていただきたい日本独特の国土条件がある。地形急峻、火山国で岩石が脆く、雨が梅雨と台風時に集中するという特性だ。欧米や大陸の諸文化とは異なるこの条件下、日本人がいかなる技術思想で大地とつきあってきたか、ここでは説明し切れないが、一口で言えば「水と緑と土」の循環を見よということである。「水は土壌の産物であり、森林の大切な理由は土壌の形成者であることであり、その土壌は人間の労働の産物である」という私の理論の骨子であり、「水と緑と土は同義語」、「土壌こそ究極の資源」と言い続けてきた理論の世界である。「世界最古の自然保護国、日本」「砂防の語は国際用語」などと書いてきたことなどもこの範疇に入る。

水の運動は純粋に物理的である。それ故、水の循環を通して人と大地との関係を見ていけば、国土の姿が実によく見えてくるのである。平たく言えば「水系の思想を」ということだ。私が林業や農業を守れと言い続けてきたゆえんである。これが第一だ。

もう一つの世界があった。人と物との移動、すなわち交通である。これが第二である。たとえば、奈良の東大寺の大仏殿を見上げ、大きいなあと感心するばかりでなく、その巨大な木材がどこから運ばれてきたかふと考えてみてほしいと、子どもたちにも私は言う。調べてみて、なぜそんなに遠くから運んで来なければならなかったのかまで、疑問をもってほしいとも。

しかし、木材だけでは都は作れない。経済基盤である米がどこから運ばれて来たか、そこまで考えてほしいと、そう子どもの本に書いている。そのようにして米の輸送を見ていくうちに、奈良・京都を支えた米の主役が北陸・東北の日本海側にあったことを知らされるであろう。それほどに日本海側が豊かであったこと、その証は例えば草刈り鎌のカタチ一つにも示されていること、などに気がつくのである。そして、その豊かさの背景には、日本海の海流があり雪があり、さらには対岸との関係など諸条件が存在したのであった。

なかでも特筆すべきは、三津七湊であったろう。日本最古の海事法規集「廻船式目」によれば、古代から中世にかけての日本の10大港として記された港湾のうち、三津を除く七湊とは、すべて日本海側で占められていた。いずれも、米の積出港として栄えた港だった。

もう一つの事実があった。幕末、江戸に集められる米約100万石、大阪に集められる米180万石。そのうち120万石は出羽・北陸の米であった。

江戸中期、治水と新田開発進んで関東平野など太平洋側の平野も開け、幕末には日本列島はほぼ現在の姿にかたちづくられる。これを私は「第二の列島改造」と名付けている。

「日本列島は2度にわたる大改造の結果である。最初の改造は弥生時代から平安、鎌倉むろまちに至る長い長い年月であり、第二の改造は室町末期から江戸中期かけての治水と新田開発である」と。それにより日本列島は、それまでの約2倍の農地面積、約2倍の生産高、そして約2倍の人口に飛躍するのである。「天下の貨七分は浪華にあり、浪華の貨七分は舟中にあり」のいう言葉も「浪華の貨七分は出羽北陸の産なり」と言うべきだったのである。

(中略)「水系で見る」と書いた。が、注意していただきたいことがある。水系とは、峠越えと一体だということだ。昭和50年代前半、南アルプススーパー林道建設の是非が自然環境保全審議会で審議されたことがあった。昔から使われてきた峠の東側と西側の2つの林道を、それまでは自動車の通れなかった峠越えのわずかな部分を整備することで結び、一本の道路にしようというもので、その可否について実に6年越しの大論争が重ねられたものであった。この審議の席上、自然保護に熱心な委員から「今は水系でものを見る時代。だから峠越えの道はいけない」との意見が出された。「水と緑と土」などで水系思想の当事者であった私には、しかしその議論が実に残念に思えた。水系であればこそ、峠越えもくる不可欠の筈であった。

古代から、鉄道の普及するつい最近まで、日本では交通手段といえは舟運であった。日本には馬車の時代がなかったのである。そして、舟運が盛んであれば峠越えもまた栄えた。たとえば信濃川を遡る日本海側の米や絹、魚肥などは、利根川を遡ってくる江戸からの文物と峠越えで交換された。山深い行き止まりの村々は、下から上がってくるそれら荷物の陸送の仕事で栄えたのである。鉄道が敷け、トンネルが通ったりして陸送の仕事がなくなると、行き止まりの村は泣く泣く北海道へ移住する、という例もあった。

北前船の活躍するより遥かに長い年月、日本海側と太平洋側とは、舟運と峠越えの連携プレーで栄えたのであり、日本海側の米が奈良・京都を養ってさたのは、まさにこの峠越えによってであった。もっと遡れば、山国の日本には、尾根道の文化があった。脊梁山脈の尾根筋と山脈を横切る一直線の道と、要するに縦横無尽の山の民の活動があったのであり、そうした歴史的背景を見なければ、吉備の文化も、一向一揆も、いや現代の水問題も国土保全も語れまい。(以下略)

(日本海学の新世紀、つながる環境、海・里・山)

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