49.富山のセールスマンシップ(遠藤和子さん)

(前略)さぐり出した売薬の歴史には、商いの神髄が縦横に織りなされていた。一般に売薬といえば、百年一日のごとき商法というイメージが強いが、「経済の本質の洞察を踏まえた商法」で、今日にも通用する先進的な永代商法であった。このユニークな配置薬商法は、不況の享保年間に考え出され、元文年間(1736-40)ごろから実施されていた。それが何世代・何百年にも及ぶ取引関係を築き上げたのである。

そのうえ、商人たちの知恵や工夫が散りばめられていた。もろもろの知恵や工夫、努力の積み重ねによって全国を風靡するまでに発展したのである。

「今日的な問題を解き明かすための売薬歴史の探索」は、また数々の「埋もれた歴史発見の場」ともなった。

これまで富山売薬のきっかけとなった江戸城腹痛事件や万代常閑による反魂丹製剤の授与説は根拠のない伝説として軽んじられてきた。それが数々の史料や状況証拠こら事実に近いことを裏付けることができた。

松井屋源右衛門は、売薬商人たちに明確な目的と展望を持たせ、製剤法を開放して富山売薬の基礎固めをした。これによって、商人達は仕事に対して誇りと信念を持った。仕事にいとおしみを抱いた。それがゆえに、彼らは山河を越え、海を渡って全国津々浦々まで、困難や災害を恐れずに薬を届けた。農業指導や文化の伝達をするなど、地域貢献も行ったのである。

一方、前田利幸は、全国的な視点に立って民間活力の導入を図り、富山売薬を飛躍的に発展させた。「民富」を柱とした施策を行うなど、富山藩随一の名君であった。彼の治世期が富山藩230年の中で最も領内が安定し、富山藩は繁栄していた。それにもかかわらず、歴史の中で抹殺され、その名も知られぬままに今日に及んだ。この名君が、尊王につながる禁中の事件に関与していたがゆえに抹殺された事情を今回の探索で探り当てることができた。(後略)

(1995年2月、サイマル出版会)