23.奥野達夫さん(富山県コロンブス計画)

とやまは頑張った。110年前、あまりの度重なる自然災害と貧しさに耐えかねて、隣の石川県から分離独立した。毎年の洪水、フェーン現象による大火、小さな家、教育費も最低で、当時の生活水準は全国のワースト3だったという。

それが治水ダムによる電力エネルギー県になり、日本海側随一の工業集積を持ち、家の大きさや世帯収入で全国トップになり、教育や住みやすさなどもその水準の高さが評価されるまで、とにかく頑張った。日本の経済発展の原風景といえよう。

しかし、時代をさらに遡ると約1000年も前、立山信仰を全国に布教し続けてきたシステムがあり、それを基盤に300年間の越中売薬が発展してきた。その情報ネットワークと資金力が銀行と電力会社まで造ったのは周知の事実である(北前船も一役買った)。

ところで、自然の植生度が本州一でありつつも経済的な発展を遂げたことは、勤勉な県民性と県民一人ひとり努力の賜であるが、多くの人は豊かさの実感がない。加えて、県の存在感の薄いことも昔のままである。

そこで打ち出されたのが、積極的にお客を招いて富山の豊かさを評価してもらう「いきいき富山」観光戦略である。結果としてこの10年間に観光客は倍増した。

さらに第二弾としてイベント戦略が加えられ、その過程で富山県コロンブス計画が誕生したものと自分流に理解している。イベントによる地域活性化のシナリオづくりと、人材の育成が目的である。

なにぶんにも前例のない事業のこと。コアグループといっても辞令は出ない、謝礼は出ない。出るのはメシと若干のお酒である。活動も夜や休日というこの奇妙なシステムがすっかり肌に馴染んで数年、ただひとつの収穫とは「この世の中、面白い人がずい分あるもんだなあ」という実感であろう。

民間人の目から富山県コロンブス計画を見ると、行政のおせっかいプロジェクトとでも呼んでみたくなる。これがなくても明日の県民の生活に困るわけではない。ソフト100%の事業だから形には残らず利権も関係ない。残るのは感動と人材ネットワークのみである。

とやまを遊び心で面白くしたいというのが最大のテーマで、余計なおせっかいを地域に仕掛ける集団が許されるとは、いい時代になったものだと思う。やっと生まれた富山県のゆとりであろうか。いい意味で地域のコミュニケーションの潤滑油として機能していきたい。

人と人とを結ぶ情報ネットワーク。それはとやまのアイデンティティでもあったことを、この機会に見直してみたいものである。

(平成5年「みゃあらくもんが富山を創る」より転載)

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