9.「おかあさんしっかり」木内哲子さん

私はある小さな公民館に招かれて講演をすることになっていました。雨がたくさん降っている日だったんです。もう空が破れたかと思うほど、ドシャドシャっと降って、どうにもこうにもならん日に私は公民館に行きました。雨があんまりでかいと降っとるせいか、だあれもまだ見えていませんでした。公民館は暗うございました。ああ、ちょっと早かったかなと、見るともなしに私は後ろを見たのです。

そこには小さな床の間があって、軸が掛かっておりました。「吉田実、書」とありました。あー、吉田さんは立派な方だ、あちこちの公民館に行くけどこの方のお軸が一番多い。政治家というものは、どんな小さいところから頼まれても気軽にこうして書かれる。なんと力強い字だろうか。と思いつつ眺めていました。

すると、襖が開いて、「先生、ナン感心して見とらすが?」と、年とった男の方が入ってこられました。「いやぁ、ご立派な字ですね」私は軸の漢詩を一生懸命に読もうとしていました。

そのジイサマが私に「何いわっしゃるが、おめえさま。吉田知事が大きいがでないがや。あの母さまが偉いがじゃ」私は軸からふっと目を離して老人を見ました。

老人は言葉を継いで「おらどもぁ、戦争当時を生きてきた人間じゃれど、杉の木を供出せいとやかましかったもんじゃ。おらも、うちの前の杉の木と泣く泣く別れをして供出した。

吉田知事のうちにも、デッカイ杉の木が一本あった。その杉の木を供出せいと言うて役人どもが来ると、吉田知事のお母さんは「何いわっしゃる、これだけはカンニンしてくれっしゃい。いまこの杉の木を持っていくなら、この親を、このワシを持っていかっしゃれ」と言われたもんで、役人どもはびっくりしたもんじゃ。

そしてまた「よーく聞いてくれっしゃれ、うちの実は今、戦争に行っとる。帰ってくるもんやら来んもんやらさっぱりわからん。あの子は、小さい時からきかん子できかん子でどうにもならん子で、泣き出したら半日でも泣いたった。そして、こんどは自分の思うとおりにならんと、物を投げたり、足でタンタン踏んだらして泣いた。

お母さんは、それを見た時、雪がたくさん降る日だったが、泣き叫ぶ三つか四つの吉田さんを雪の上を引っ張って杉の木の所へ来て「やかましい…。いつまで泣いとるんじゃ…。この杉の木、よーく見てみい。身体にいっぱい雪が積もっとっても、手がないから雪を払うことができん。寒いからおうちに入ろうと思っても足がないから家にも入られん。こうしてじーっと立って、それでも伸びよう伸びようと思って一生懸命に生きとる。男の子っちゃ、ちょっとのことで泣いたりわめいたりせんもんだ。わかったけ」と言うて顔を見たら、吉田さんも涙を流しつつお母さんと目があって、クイックイッと泣きじゃくりながら、なきやまっしゃったそうじゃ」

私はこの話を聞きながら、なんと心を打つ話なのかとうなずきました。ところで、この吉田知事に対して、お母さまはずっと名前を呼び捨てられたそうです。

「ミノル、ミノル」と呼ばれると、知事は、「お母さん、なんぼ何でももう大人になったのだから、呼び捨てはひどいでしょう」とおっしゃると、お母さんは、印象的な大きな目をカッと見開かれ、「何!もういっぺん言うてみっしゃい!何言わっしゃる!この日本国じゅうで「実」と呼び捨てにできるのは私一人じゃ。どこが悪いか言うてみい」と言われたそうです。それを言われると、知事は何も返す言葉が出なくて黙られたそうです。

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私の先生はお金を一銭出して「この部屋が明るくなってくるものを買ってきなさい」と言いました。それは大変雨の降る暗い日でありました。生徒たちはみんな顔を見合わせて、たった一銭でこの部屋が明るくなるようなものがあるだろうかと話し合いました。みんな手を上げませんでした。そのうち、50人のうちの生徒1人、しかも一番勉強のできなかった男の子が1人手を上げました。0点ばかりとっていて家も貧しくてお父さんは出稼ぎで非常に暗い生活をしている子です。人はみんな笑います。あんな子に何が分かるかってね。何が始まるんだろうって。先生は一銭を彼に渡しました。

ーーしばらくたちましたが、彼は帰りません。いよいよ鐘がなる頃までに待っていても帰りません。ところが鐘が鳴った時、タ・タ・タ・タと彼が帰っていたのです。駆け込んできました。

手を見ると一本のロウソクがしっかりと握られていました。先生はそれを見るなり、オゥーといって彼を抱き上げました。先生はポケットからマッチを出してロウソクに火をつけると、今まで暗かった教室は急に明るくなって、みんな歓声を上げて彼の頭のよさに感心し褒め称えました。

この話をし終わると、先生はこうおっしゃいました。「あのね、教育は電気じゃないんだよ。電気になっちゃダメで、ローソクなんだよ。ローソクというのはね、その芯に火をともして、自分の身体をとかしながら、世の中を、子どもたちを明るくしてゆく、それができるのが本当の先生だよ。間違うても理論家になるな。君たちは人間なんだ。実践に徹せよ。そして学校に赴任したら学校の母親になれ。権力を恐れるな。子どもたちのためなら校長が何といえども言うべきことは言え。なすべきことはしっかりとなせ。それでこそ自分の教え子だ」

—「おかあさんしっかり」日本放送出版協会—

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