50.乗り越えてゆく富山人

コロナ禍で暇を持て余すついでに自分の過去と未来について考えていました。ノートに思いつくままに書き留めていると、どうも富山の過去と未来にも鳥瞰的に思いを馳せないと自分のことも分からないのではないかと思えてきて、戯言ばかりになりますが、自分なりの理解を書き残しておきたいと思います。

富山は三方を山に囲まれ、山からの急流河川をはじめとする大小河川が人が住む地域の隅々まで覆っているお土地柄です。中世の頃から痩せた土地に暮らす貧しい農村と多発する氾濫災害や多雪地帯による活動制限、江戸期には江戸と金沢の二重表による締めつけ、といったこの地に生きる人にはストレスフルな自然と社会が立ちはだかっていました。ゆえに、富山人の心性として辛抱し耐えることが染み込むように社会的性格として根付いていたのだと思います。「我慢せよ」というのは親から子へのしつけとして、私が小さい頃まで最優先の美徳だったように思います。こうした風土から生まれる性格のことを江戸期の人国記という書物では、越中人の特徴として「侫(ねい)」として表現されています。私は、この心性が現代に至るまで親から子へと受け継がれる負の遺産=富山人のコンプレックスとして心の奥底まで染み付いて剥がせなくなっているのではないかと危惧しています。

時代は下ります。明治の自由民権、産業革命の流入などを経て、大正時代からは急流河川のエネルギーを発電に活かすという逆転の発想で社会の電力需要を満たす取組みが始まりました。県内各地の山域にあるダムは今は化石燃料に変わる再生可能エネルギーとして注目されていますが、映画「黒部の太陽」よろしく、急成長する日本の社会経済ニーズに応えてきた富山パワーの動かぬ証拠です。

また、第二次世界大戦期に富山市は大空襲で99%が焼け野原になって敗戦を迎えましたが、そこからの復興によって今では住みたい街のトップクラスに入るほど素晴らしい街ができています。これも富山のパワーの現れだと思います。

ここで強調したいのは、富山人は「厳しい現実をみんなで力を合わせて乗り越えていく」という強かな心性を持っていたということ。特に、集団になった時のエネルギーでしょうか。過去の米騒動や一揆にも見てとれますし、先程の人国記にも同種の記述があります。佐々成政のサラサラ越えの伝説が広く知られているのも、富山人のマインドを代弁している物語だからかもしれません。

戦後、アメリカ文化が日本に流入してきました。豊かさに憧れて日本人はすぐにアメリカ文化を受け入れ始めます。個人主義・自由主義は憲法にも基本的人権として記載されました。そして、高度成長期に入り日本はアメリカに次ぐ世界No.2の経済力を持つようになり豊かな生活は一人ひとりに自信を植え付けました。日本も捨てたもんじゃない。しかし、イデオロギーとしての「個人の自由」は「集団の拘束」を嫌います。戦後間もなく地方での集団生活を離れて都会で生計を立てて自由に生きるトレンドが進んでいきます。地方では家制度が根強く残って事実上長男に財産を相続する仕組みが続いているので、家を継がない長男以外の子や女性は仕事を求めて都会に移住します。こうした動きによって、現在の東京一極集中という偏りが生まれました。

さて、現在の日本は、個人主義が絶対視される多様性の時代に入りました。食べるのに困らない豊かさの享受のほか、スマホなどICT技術が個人の能力を飛躍的に高めたのも大きいです。世界の情報が手元にあるスマホ画面で日本語で閲覧できるようになっています。そんな社会では「みんなと一緒」よりも「それぞれ違う」ことが尊重されます。商品やサービスも最新のものを追い求める傾向も強くなり、他者も同じ物を持つとすぐに飽きるようになっています。グループ内の意識も、競争して1番になることから、他者の違う価値観を受容することにシフトしています。私達が求めてきた豊かさは、このような違和感を受容する、言ってみれば小さなストレスが日常的にある社会をもたらしました。かつて力の源泉だった集団の同質性=仲間意識や凝集性はもはや災害や危機対応など限られた場面でしか必要とされなくなったように思います。これも豊かさが浸透したことの結果だと受け止めるしかありません。

小さなストレスが日常にある社会は、現代社会に新たな課題を突きつけています。子どものイジメ、引きこもり、孤立、分断、格差など、新聞を賑わせる社会的課題は、多様性社会の負の側面でもあります。2:6:2の法則というのがあって、どんな集団も統計上は正規分布を示します(成績の偏差値がイメージしやすい)が、真ん中の普通のグループは6割で、偏ってるグループが上下に2割ほど必ずできる、仮にメンバーを変えても同じ結果になる、というものです。このことが示唆するのは、違いを強調する社会は「見えない壁」を作ってしまう社会でもあるということ。分断を作っているのは私達自身であるということを忘れてはなりません。分析的な記事が出るたびに、違いが強調されてTwitterなどで誹謗中傷が広がるのは、そうした人間の弱さの現れだと達観してスルーしておくのが賢い生き方だと思います。もちろん、イジメや虐待、引きこもりをはじめとする弱い人への優しさを忘れてはいけませんが、頭の中だけで語られている独り言のような虚構に振り回されてはいけないということです。自戒を込めて、誠意を示すならば、困っている人に対面の行動によって示す必要があると思います。

横道にそれてしまいました。

さて、富山人の歴史は、多くの先人が様々な壁を乗り越えてきた足跡として記録や記憶に残っています。そうした過去を振り返って咀嚼すれば、自らのアイデンティティを理解し、新たな視野が拓けてくると思います。温故知新は過去の富山人に思いを馳せることから始まります。

そして、私はどんな未来に向かって行くべきか。

富山人の侫の心性の克服、つまりは無意識に染みついたネガティヴさの理由を受け入れ、それを乗り越えてポジティブなマインドを広く浸透させること、それが一人ひとりのウェルビーイングにつながると感じてます。世界の中でコンプレックスを持たずに自律的にウェルビーに生きる富山人をたくさん増やしていきたい。人の目を気にしてばかりでなく、自分らしく楽しんで生きている人を増やしていきたい。

僕が学んできた心理学やポジティブ思考が役に立てられるかもしれませんし、自分自身が広い世界を経験すること、また、チャレンジ精神を忘れないことも大切だと思っています。

(2022.1.30自宅にて)