黒部市生地にある北方領土資料室へ行ってきました。
黒部市コミュニティセンターの3階の広いスペースに、関係する方の思い入れの深い資料がたくさん展示してあります。
僕の父も北海道で売薬業を営んでいたため、かねてから富山と北海道の深い関わりに興味がありました。北海道と富山の関係が深いらしいけど、そもそも論としてなんでやろ?
お聞きしたお話やこれまでの調べ物を振り返ったところ、江戸期の北前船の西廻航路の開発により、北海道産の昆布が天下の台所である大阪に集められる中継地として富山の港が位置付けられたというのがことの発端であり、それによる人の移動が重なって交流が深まっていったというのが大雑把な全体像になるようです。
今でも昆布の消費量が全国トップクラスの富山です。全国的に汁物の出汁に使われるなど日々欠かさずいろんな料理に使われる昆布ですが、当時から現在に至るまでコンブは、日本列島では北海道沿岸がほとんどのシェアを占める漁場のようです。
有史以来、富山の地形は急峻で、河川氾濫、より周り波、山火事など、災害が多い地域です。また、コメどころだけに冷害に見舞われると人々の生活は大変なダメージを受けていました。
明治期に被害を受けた人達、主に農林水産業の次男・三男にあたる人達だと思われますが、世界的な技術革新を受けて開発された新型船舶にのって新たな生活の場を求めて移住したのが北海道だったようです。
北方領土に移住した富山の人達は、主に歯舞群島に多く住み着かれたようで、黒部を筆頭に入善・魚津・朝日の方々が多かったとか。いまでは、引きあげてこられた方が富山に来ておられますが、それでも高齢化が進み、いかに次の世代へと語り継ぐべきか悩まれ、継続していくことに執念を燃やしておられます。
ここでは、語り尽くせないほど多くのことを感じてしまいました。
「ちゃべちゃべ」でTOYAMA日記を話しましょう
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