19.辺見じゅんさん(21世紀への遺言)

本書が生まれたのは、平成7年10月より一年間、北日本新聞カルチャーセンターでの「自分史講座」が契機となっている。

 (中略)

今回、10数年ぶりに故郷富山の地でこの講座を持つことが出来たのは、私にとって大いなる喜びであった。一年間の出逢いを通し、あらためて父祖の地への思いを深くし、再発見する契機にもなったからである。

講座を開始するにあたり、私が仲間たちに提案したのは手作りの「自分史年表」の作成であった。「自分」と「家族」と、そして「世界や日本」の動きを一つの年表に作る。「自分史」を書くにはまず、自分の生きてきた時間を整理することであり、一人ひとりが生きてきた「時代」と向き合うことから始まると考えたからである。

この年表作りは仲間たちにとってかなりの労苦を伴う作業だったが、その後の作品を書くうえで貴重な資料となった筈である。毎月、課題を出して作品を提出してもらったが、年表作りを通し、記憶として取り落としていた事項を復元させたり、自分とは何かをあらためて見直す要因にもなったようだ。

本書に参加した仲間たちは26名。大正世代6名、昭和ヒトケタ9名、フタケタが11名である。巻末の「自分史年表」に散見されるように、年齢も80代から30代までとさまざまで、出生地も富山をはじめ、台湾・上海・長春・旧満州・種子島・京都・名古屋・東京など多岐に亘っている。人は誰しも一生に一度、一冊の本を書くことができるといわれる。本書には、各自のかけがえのない生の証が文章の巧拙をこえて鳴り響いている。

書名を「二十一世紀への遺言」としたのは、「戦争」「幻郷」「絆」「生と死」の4つをキーワードとし、そこからみえてきたもの、風化させてはならないものの再生をこめて問題提起としたかったからだ。果たしてその試みが達成されたかどうかは今後の私たち自身の課題でもあろう。各自が二十世紀に生をうけた者として、次なる世紀への子どもたちに伝えたい真率な思いを綴ったことだけは確かである。

第一楽章の「戦争」には、ーー7名の執筆者がそれぞれの戦争体験を記している。太平洋戦争の戦死者はおよそ350万人といわれている。戦争を知らない世代が日本の人口の7割を占めるようになったといわれる今日、あの戦争とは何だったかを振り返り、検証することは、戦後史の原点をみつめる意味からも大切なことに思える。

第2楽章の「幻郷」には、今は幻となった故郷の佳き習慣、自然と人との折り合いなどが語られている。

今日ほど家族や宗教や教育の在り方が問題となる時代もなかろう。世紀末の抱える縮図でもあるが、第3楽章には、大正7年生まれの〇〇氏から昭和36年生まれの〇〇さんまで8名のさまざまな「絆」の在り方を集めた。

今、死生観の時代という。高齢化社会となった今日、生と死の問題はさまざまな形に論じられていくだろう。二十一世紀への課題となるように思う。第4楽章では、夫・息子・両親・そして教育としての立場からの生徒の死などが語られている。

(以下略)

「ちゃべちゃべ」でとやま心を話しましょう