本書の「はじめに」で記したが、北日本新聞が若い記者や新聞記者を目指した学生たちに影響を与えたのが1969年、連載「よみがえれ地方自治」だった。私だけでなく、全国で出版になった「よみがえれ地方自治」を読み、地方紙を志したという友人もいる。「地方自治のバイブル」のような存在だった。
地方自治は憲法の条文にも明記され、保障されている権利である。当時、一般県民にはなじみの薄い言葉だったろうが、連載のタイトルに「地方自治」を使ったこと自体に驚きと思い切りの良さを感じる。同時に全国紙ではなく、地方紙だからこそ、県民に受け入れられ、浸透したと考えられるが、それ以上に取材に当たった編集局員、新聞社の熱い思いが伝わるタイトルである。
戦後、地方と中央の関係を論じるとき、政治家や学者は地方自治体を「3割自治」と評した。自治体が自由に使える自主財源が3割、残り7割は国からの補助金や助成金。使い道の決まった税金で賄われ、手足が縛られたのも同然。中央集権体制、霞が関の官僚体制にがっちりと組み込まれ、財源上の事情だけでなく、自治体の権限は小さく、地方行政とその職員らも従わざるを得なかったのだ。従って、自治体が住民側ではなく、上部の国や県側を向いていた。「長いものには巻かれよ」という妙な道理がまかり通ったのが国と地方の関係だった。現代は地方分権が叫ばれ、地方分権一括法などの制定で国と地方の役割分担の事務量や中身に変化はある。だが、勘所は国が握り、国と地方のいわば「主従関係」の関係はなお不変である。
この連載キャンペーン「よみがえれ地方自治」の考え方について、連載タイトルと同名で勁草書房から出版になった序文で明快に答えている。「生命の尊厳と人権の擁護であった。そのために憲法に保障された地方自治の権利を最大限に発揮すべきと考えた。それは単に憲法に保障されたものであるから大切なのではなく、住民の暮らしを守る砦として、再認識する必要があると認めたからである」
当時、富山県はイタイイタイ病を抱えていた。地元の医師が病気の存在を明らかにして20数年、国が「公害病」と認定するまで放置状態だった。富山県は容易に「公害病」を受け入れることを拒んでいた。本来なら、住民に寄り添い、公害病と認め、国に要望し、対決すべき立場なのである。また教育では、産業偏重の政策が推進され、高校の入学定員比率が普通科3割、職業科7割とし、産業教育に偏重していた。普通科志望が多いなか、自由に進路を決定できないため、キャンペーンでは「産業に奉仕する富山県教育」と批判した。
連載キャンペーンの構成は、第1部「健康を住民の手に」、2部は「議会を立て直せ」、3部は「教育のゆがみを正せ」、4部「老後にひかりを」。ことに「教育のゆがみを正せ」には手厚く報道し、多くの高校生らも毎朝新聞を読んでいたという。高校職業科の先生が「倫理社会の時間にこれまでの生涯で最も印象に残ったことを書かせたら、新聞に私たちのことが書いてあったこと、救われる思いがした。と書いた生徒が数人いた」という報告がある。
私自身、入社動機となった「よみがえれ地方自治」に感動したのも、住民の健康を守り、中学生の未来のために、県という権力に対し問題を提起し闘ったことである。ともすれば、地方紙は知事など地方権力に弱いと揶揄される。日常的な付き合いや、新聞社は県と一体的に事業を企画・実施するケースがある。常に近い距離にあるため、弱腰になり「物申す」ことに億劫になる。日ごろから一定の緊張感を保って仕事をすることが当たり前と思うのだがどうだろう。想像するに、当時、会社の経営自体は磐石だったとは言い難い。それでもキャンペーンを貫徹できたのも新聞社自身、地方紙の拠り所を見据えていたからであろう。
「よみがえれ地方自治」は北日本新聞初の新聞協会賞を受賞した。受賞理由に「長期にわたるキャンペーンを通じ、終始地域住民とともに考える姿勢を堅持しながら、鋭い問題提起と地域住民に貢献する地方紙の役割をみごとに果たした」と評価された。前述の「地方選のかたち」の出版で一筆頂いたルポライターの鎌田慧氏は「地方紙は地域の民主主義の砦である。北日本新聞の地方自治に対する取り組みは伝統的な精神である。このドキュメントは地方政治研究の生きた教科書である」と評した。鎌田氏はイタイイタイ病の取材などを通して、生命尊重と人権、住民の暮らしを守る砦として、連載キャンペーン「よみがえれ地方自治」をやり抜いた北日本新聞を承知していた。ゆえに「伝統的な精神」と評価したのである。
地方自治への取り組みは、地方紙、ことに北日本新聞にとって永遠のテーマだと思っている。「よみがえれ地方自治」以来、さまざまな連載を企画している。当社の120年史には「地方自治の視点忘れず」の1項目がある。例えば、地方分権推進法成立直後の1995年には「市町村 われらが自治の砦」を企画、まちおこしやむらおこしに汗を流す自治体や住民の姿を描き、国に真の地方自治の実現のため、権限の委譲が欠かせないことを求めた。1990年には当時全国的にごみ問題が地方自治体の大きな課題になっていた。富山県も同様で連載「ごみに挑む」を企画、「資源をごみ化しない」「資源を浪費する商品は買わない」を提唱、環境問題を通して自治の在り方を問うた。単に行政批判に終始するのでなく、ごみをめぐり、住民と行政が手を結び、企業・生産者の姿勢をあらためることを提言、ごみを排出する住民の視点、いわば「川下」から流れをさかのぼる改革を訴え実現に努めた。
こうした地方自治・地方分権について、全国の地方紙がいろんな視点で取り組んでいる。地方紙の拠り所は地域・地方だ。住民の視点で住民の立場で、住民の暮らしといのち、そして行政を取材し続けたい。
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