16.田中耕一さん(決めた道をまっすぐに)

未来へのメッセージ

無名だったサラリーマンが築いた偉大な業績。他の研究者による後発の研究論文が多くあるなか、ノーベル賞選考委員会は綿密な調査に基づき田中さんに賞を授与した。「コツコツ努力する姿を見てくれる人は必ずいる」田中さんは言葉に力を込める。

「堅実さと粘り強さは富山の地のおかげ」受賞が決定してから幾度となく口にしてきた。まさにノーベル賞受賞の礎となったのは、富山県人の持って生まれた特質だ。

氾濫を繰り返す急流河川との闘いや、冬季積雪下での生活など、富山の厳しい自然条件で、人々は忍耐強さを身につけた。一方、富山は商業都市として「先用後利」の越中売薬に代表される画期的な商法を生んだ。風土が培った富山の県民性は、勤勉実直で進取の気性に富み、学習意欲も高いといわれる。だが、経済指標の複数の項目で全国トップクラス。日本一住みやすい県となったにもかかわらず、県人はいまだ地方出身のコンプレックスを抱え、若者にもいまひとつ元気がない。

田中さんは、そんな富山の後輩たちに語りかける。「おれ、富山出身やから、地方だからと考えることはやめてほしい」「富山だから、田舎から出てきたんだからということできまるのでない。地方ということを気にせずに、頑張ってほしい」

小学生時代の田中さんが書いた詩に、こんな一編がある。

人生の道

人は それぞれの道を歩く どんなに苦しくても どんなにかなしくても 進む ぼくは わるい道には ぜったいいかない きめた道を まっすぐ進んでいきたい

粘り強く自分の信じる道を選んだ田中さんの研究姿勢は、多くの人に「やればできる」という希望と勇気を与えた。

田中さんには2003年3月2日、富山県名誉県民と富山市名誉市民の称号が贈られた。さらに富山市は、科学教育振興を目的として、県内の小中学生を対象に、田中さんのような優れた着想、ユニークなアイデア、粘り強い努力を視点に、児童・生徒数人を表彰する「ジュニア科学賞」創設の考えを示した。これらには、多くの若者が田中さんに続いてほしいとの願いが込められている。

現在、田中さんは、最先端のタンパク質解析のさらに先を行く、糖鎖の構造解析に取り組む。「薬局で一滴の血液を測るだけで病気の診断ができる。そういうものが5年、10年先にできれば…」田中さんの夢は広がる。

「自由な発想で物事に取り組んでほしい」「多くの人が間違っていると言っても、他人の意見に従わないように。間違っているかもと思っても、ためらわずに発言を」「人の意見に左右されないで。失敗しても躊躇せず」田中さんはこう言う。

きめた道をまっすぐにーー。エンジニアであることに誇りを失わない。富山が生んだ偉大なノーベル賞科学者・田中耕一さんから、若者たちへのメッセージだ。

(きめた道をまっすぐに、2003年北日本新聞社)

「ちゃべちゃべ」でとやま心を話しましょう