8.はぐれ雲(大沢野)の川又さん

いい学校とか、高学歴にこだわるのが世間じゃ当たり前になってるよね。でも、いまの学校教育で学べることは、知識はともかく、自分たちが考えているより少ないと思うよ。毎日の生活の切れ目ない一瞬・一瞬の時が、つまり人生の現実が、われわれをつくり上げてくれるんだ。社会生活上の善し悪しのけじめや、人に対する思いやりっていうのは、幼児の頃からそうやって身についていくものじゃないかね。親や周囲との現実の触れ合いからなんだよ。いまの家庭環境ではそこら辺が弱いんじゃないかな。

だから、学校から社会へというレールから外れてしまっても、本来の自分の価値が損なわれるわけではないし、人間としての成長が止まってしまうわけじゃない。社会から学校へと逆にたどったって帳尻は合うよ。ところが、親も子もなかなかそういう考えにはならないんだよね。一般的な社会の規範から外れてしまうからね。そうなると、世間の目がストレスになる。状況はそれでどんどん悪化していくわけだ。

自立、自立というけれど、要は子どもが一人の人間として、自分の生き方を自由に、自分で責任をもって選択できて、社会で生きていけるようになることなんだ。それが自立支援の目標だ。しかしそれが、もともとの子育ての基本だったといえるんじゃないかな。

効率性とか合理性とかっていうのは、横着と紙一重だと思うね。世の中は、白が黒かで区分けできるわけじゃない。境目のないグレーゾーンだよね。誰もがそれは感じるだろう。だから人間社会の規範や理屈が頼りにならないことがあっても不思議はないさ。
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現場の人間たちが集まってるだけじゃ、考え方やものの見方が偏ってしまう。だって、目的が一緒で、抱えている問題点や経営面なんかの不都合がみんな一緒なんだから、立場の違う人たちの参加が必要だと思ったんだ。

立場が一緒の人間達が大勢集まって声をそろえれば、そりゃあ大きな声になる。世間が耳を傾けてくれて、こちらの思いが伝わるかもしれない、人間って大きな声に影響されるからね。ある程度は自分たちの要求が通るかもしれない……制度化とか補助金とかさ。それは間違いじゃないよ。こんな社会だからね。セーフティネットは用意されてたほうがいい。

でも、そればっかりじや困る子どもたちの声が聞こえなくなる。だから、集まった人たちの失敗談が聞きたいわけだ。成功例なんてみんな同じなんだよ。こういう話は四角いテーブルで、眉間にシワをよせながら侃々諤々とするもんじゃない。丸いテーブルについて、それこそ一杯やりながらざっくばらんに話した方がいいんだ。

ものごとには順序ってものがある。田畑にいきなり種子を蒔くなんてことはしない。種子を蒔く前に耕さなきゃいけない。堆肥を施して土壌を作り直さなければ地力は働いてくれないんだ。人間社会にも土壌ってものがーーそれがちっぽけな社会であってもーーあるんだと思う。

だから違いのあるものを取り込んで段取りを踏みながら、地味が偏らないようにすることが大事なんじゃないかな。八方美人ではないけれど、七方美人だからね、私は。だから何とかまとまってこれたのかもしれないね……。

——「田んぼの真ん中、はぐれ雲」より転載——

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