東日本大震災の跡をたどる

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JR東北本線で北上駅へ。新幹線と並行しているけど3セクではなくJRが運行していました。早朝に3両編成でガラガラの車内は旅情があって羨ましいなぁ。

そこからレンタカーで紅葉真っ盛りの遠野を抜けて釜石へ。遠野の紅葉は低山山頂まで落葉樹が赤や黄色に彩り豊かに燃えていて、高山と常緑樹の北アルプスエリアの住人には見たことのない絵画のような景色。

北上山脈には三陸海岸と北上盆地を繋ぐ復興支援道路が東西にたくさんできているのですね。あっという間1時間ほどで釜石の「いのちをつなぐ未来館」に到着。

鵜住居エリアは「釜石の奇跡」と言われる防災の教科書的な出来事があった地域。「津波てんでんこ」の教訓は、分析の解像度を上げるたびに深い意味合いを帯びてきて、現代のまちと人の社会課題イシューの原型、集団と個の葛藤の解決策も示唆しているような気がします。

釜石から大船渡に移動。真新しい三陸街道で移動したら何度も「過去の津波浸水想定地域」という看板が。「過去の」という表現とか高低差を測って全てのポイントで設置してることに、思わず言葉を見失ってしまいます。

大船渡の街は、北から南下して入ると津波浸水してない地域は古い商店もたくさんあって比較的豊かさを感じられました。でも、津波浸水地域に入ると、一気にフラットで更地ばかり&新築ばかりで。

そんな浸水被害の大きかった中心部で「キャッセン大船渡」というまちづくり会社を中心に地域の人々が集まって未来に向けた取組みをしているエリアがあります。元々は商店街や住宅地があったエリアなので、そこで被災した人々がどのような努力でまちを立て直して人の絆を深めてきたのか。

見かけは新築でキレイな店舗が並んでいますが、深く分け入っていくと、そこに至るまでの思いや言動が分かる写真群や記録がたくさん垣間見れました。

大船渡では、三陸の海鮮が美味しくて、貝だしラーメン、旬の牡蠣やアワビ、大船渡名物の秋刀魚など、行く先々でた食い道楽。美味しいものは不思議と満腹を感じずに胃袋に入っていきます。

だけど、比較的若いファミリーなど現役世代の姿はよく見えましたが、年配の方々はどこにおられるのか。まだ分からない事情がたくさんあるようです。

大船渡から陸前高田へ。あえて海岸沿いをドライブしたところ、見たことないぐらいの高さのコンクリート擁壁が。10m以上の高さの垂直屹立コンクリート壁が海と街を分け隔てています。これ何キロ続いてるんやろか、と考えると気が遠くなるような自然と人との関係を思わずにはいられません。古来、海は母なる存在として人間と親和性のある物語を紡いできましたが、津波被害のリアルはそれを完全に拒否していて、自然の恐怖とはこうだと容赦ないメッセージを突きつけてきます。

陸前高田にある岩手津波メモリアル施設へ。「奇跡の一本松」や破壊されたユースホステルで有名ですが、むしろ、ここのフラットな芝生公園こそ、津波の恐ろしさを物語っていると思います。海岸に新築された防波堤からは、見渡す限りのフラットなまちと海岸沿いの高い防波堤がとても印象的でした。

陸前高田から気仙沼を抜けて一ノ関へ。世界遺産のへ平泉の紅葉や金色堂を見て、街の衰退を語る駅前のバーで地元の人と語らって、東北新幹線で富山への帰途に着きました。

旅程の全体を通じて、被災地は13年経ってハード整備は一定のカタチにたどり着いたようですが、地元に暮らす人々の営みはとても苦労が多いことが窺え、比較の問題ですが、富山に暮らす人、特に能登半島地震で被災してない人々がとても豊かな環境にいるのだと気付かされました。

課題最先端は被災地にあり。災害が社会課題を炙り出すと言われますが、被災者支援の気持ちは常に意識しておくべきだと感じます。

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