ウェルビーイングと私

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私は大学で心理学を学び、その後、社会に出て行政マンになりました。行政は主に法令の知見が求められる世界なので、私がその後も関心を持ち続けた心理学の知識が職場で表舞台に出ることはなかったのですが、個人的には公私にかかわらず、いかに幸せに生きられるか、どうしたらマインドアップできる環境をつくれるか、常に追い求めてきました。

その後、50歳を迎える最近になって、ウェルビーイングに着眼した政策展開を進めようと、富山県が新しい取組みを始め、最近になって「ウェルビーイング指標」などが公表されました。

ウェルビーイングの推進
富山県では、成長戦略の中心に「ウェルビーイング」を掲げ、取組みを進めています。

1番大きなポイントだと受け止めたのは、人々の「主観」を測ることに重きを置いていることです。

これまでの常識では、好き嫌い・優先順位は人によって違って当たり前で、それを科学的な客観性が求められる政策立案の際に参照することは避けられていました。継続的で公平な行政運営に不確かな要素を持ち込んで支障を来たすことがあってはならないという哲学のようなものがあったからです。

ただ、そうした考え方から派生するのは「客観的に捕捉できる数字やデータで表される指標のみ信じる」という狭量な価値観であり、分かりやすいGDPや寿命、人口などの外形的に捕捉しやすい定量データばかり着目されてきました。

政府統計を見ると、外形的に捕捉されるデータが大量に並べられていますが、人々が直感的に肌感覚で理解できる「ウェルビーイング・幸せにつながる指標」はほとんど目にすることができません。

これが役所をブラックボックスと感じさせ、管理されている閉塞感を生み、不信感を助長している要因だと思います。

ここで重要なポイントは、外形的に捕捉しやすいデータだけが信用され、いかに幸せに直結しようともデータとして捕捉しにくいものは「ないもの」と見做され、政策形成やリソース配分のうえでほとんど無視されてきたことです。

例えば、ウェルビーイングを測る上で大切な「人々のつながり度合い」は、客観的にはコミュニティを代表する「老人クラブ加入率」などで表されていましたが、これでは若い世代のつながり度合いは示すことができません。ですが、全年代を対象とした主観的なアンケート調査だと、すべての年代について個々人の自己採点などで捕捉することができます。

もしかしたら、これまで、若い世代のウェルビーイングを捕捉するのに適した客観データが少なかったために、世代間の不公平感が生まれ、若い世代の政治離れが起きていたのかもしれません。

「ないもの」と切り捨てるよりも、すこし不確かでも「あるもの」をしっかりと受け止めて社会全体で改善していく。

こちらの方が、未来に向けた取り組みとしてよほど有益なのは誰も否定できないと思います。

スマホの装備などで個人スキルがアップした結果、行きすぎた個人主義による弊害が指摘されています。テクノロジーが進んで脳化社会が蔓延し、人間の身体性があたかも「ないもの」として扱われているような錯覚に陥っているようにも感じます。

今後ますます世の中の変化が激しくなって、人間疎外感が強くなっていく懸念が拭えないなか、今回のウェルビーイング発表は、何より、家族や親密な友人達と感情的・感覚的につながっていることの満足感がとても大切なものだと政策的にスポットライトを当ててくれました。

世界的には、ギャラップ社など主観的なウェルビーイングを測る調査が毎年行われていて世界ランキングも公表されています。その結果と比較できれば、富山県の立ち位置がより分かりやすくなるかもしれません。

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