オッさんはディスられてナンボだとようやく気づいた

家庭内でのお父さん。昔の昭和時代なんかは家父長的に尊敬されていたものの一方で奥さんや子どもと話が通じない人でもあって、女性視点では問題多かったのではないでしょうか。今の価値観で振り返るとより強く感じられてきます。

いまのお父さんはもはやオッさんと呼ばれる存在で、噛み合わない存在として家庭内で尊敬されることもなく、無視したら悪いけどどうしていいか悩ましいと😅扱われていることが多いと思います。今さらお父さんを敬いなさいと言ったところで、社会が変わり家庭が変わり個人が変わってしまいました。社会的にも家族内でも女性的な価値観が強いなかでの孤軍奮闘は誰にも見向きもされないのが実情だと思います。

そんなもんかなぁ、中年の課題とか言うけどこれがそうなのかなぁ、と孤立感を感じて一抹の寂しさを感じていましたが、娘たちと話すうちにあることに気づきました。

今日、子ども達の欲しがっていたあるプレゼント的なものを買ったのですが、喜ぶかと思いきや「え?その色?」「あんまりカッコ良くないね」

あんだけ「ほしい〜」と騒いでいたのに、いざ買ってみたらディスられまくり。お父さんは少しイラッとしました😅

でも、ここからが異変。子供たちは、その後今まで見せたことのないスピードで、そのものを使う遊びに向けて行動を加速させます。「あれ?あんなに評価低かったのに、えらい喜んどるやん」がオッサンの本音。そんならディスらんでもええやないか。

分析すると、思春期の子ども達同士のやり取りはオッサンに言うようなディスり会話は皆無で、不快感はその場で表現されることなく陰でコソコソ言うようなやり取りになるようですね。冗談でも人の悪口は言わないようです。いつ自分がいじめられっ子になるのか怯えて暮らす思春期の子ども達の生きにくさが感じられ、今の子ども達の社会の複雑さを思い起こしました。

だとすれば、家庭内でいくらディスっても正面から受け止めるお父さんの存在はものすごい安心できる存在なのではないか。オッサンはいつもディスられてツラい気持ちになることが多かったのですが、むしろ自分はそんな大きな存在として見られていたのかと嬉しい気持ちになりました。

上っ面の言葉を聞いただけでは、物事の本質を見極められない時代です。そんなリアルと異界を揺れ動く子どもの精神世界を垣間見たような瞬間でした。

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